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コラム
伝統の継承---錦川の鵜飼
(「月刊 自由民主」平成18年10月号より転載)

2006.09.15
 

「鵜飼を見に行きましょう」

地元の放送局の友人から岩国錦川の鵜飼に誘われたのは今からもう二年近く前になる。鵜飼といえば全国でもっとも長い歴史を持つ長良川の鵜飼を思い起こす方が多いだろうが、岩国でも情緒溢れる伝統行事が続いているのだ。はずかしながら地元錦川の鵜飼を見物したことはこれまで一度もなかった。そこで是非にということになったのだ。

錦川の鵜飼は今からおよそ三百七十年前の寛永年間に岩国藩主吉川広嘉公により始められたと伝えられ、一時中断の後、戦後錦川鵜飼宗家によって復活した。夏の三ヶ月間だけ古式ゆかしい伝統作法にのっとって行われる錦川の鵜飼は全国十二箇所ある鵜飼の中でも見ごたえのある行事の一つである。

錦川の鵜飼は錦帯橋の上流で行われる。優雅な姿のこの橋は鵜飼と同じく藩主広嘉公がおよそ三百三十年前に創建したのがその起源である。しかし、当時錦川に架かる唯一の橋は翌年の梅雨時にあえ無く流失。流されない橋を目指して同年再建された二代目の橋はその後二百七十六年間不落を誇った。その橋も昭和二十五年にはキジヤ台風の水害により流失したが、同二十七年に再建され、平成十三年に始まった五十年ぶりの架け替え事業により十六年には新しい錦帯橋が完成した。釘を一本も使わず、木材を組み合わせて四十メートル近いアーチを連ねた錦帯橋はその橋と同じ時期に生まれた鵜飼とともに岩国の観光の中心となっている。

さてその鵜飼遊覧だが、昨夏は急な解散・総選挙でやむなく先延ばしとなった。そして総選挙の期間中に襲来した台風は鵜飼舟と遊覧船の多くを流してしまったのだ。存続の危機に瀕した錦川の鵜飼。暫く見ることはできないかなと思いかけていたのだが、犬山市や岐阜市から鵜飼舟、遊覧船が贈られるなど、全国の鵜飼開催地からの支援と錦側鵜飼振興会、鵜匠宗家のご努力によってこの夏も開催されたのである。

今年こそと日程を調整し、漸く八月末になって鵜飼遊覧の実現となった。夏の盛りを越えたとはいえ残暑のきつい午後六時。鵜匠宗家の岩見屋さん、錦帯橋架け替え工事の棟梁、海老崎さんら十人あまりで遊覧船に乗り込むと船頭さんが静かに船を川中へと漕ぎ出した。まだ陽の残るうちに点された提灯の蝋燭の火が船の揺れに応えてなびく。

錦帯橋ゆかりの清酒「五橋」の蔵元で同乗の酒井さんが持ちこんだ新作のお酒や昔ながらの鮎の粕漬け、お弁当に舌鼓を打ち川面をわたる涼やかな風にふれながら、橋の架け替えや台風災害の苦労話を伺っていると、いつの間にかライトアップされた錦帯橋の上には三日月が掛かり、あたりはすっかり暗くなり鵜飼舟の登場を待つばかりとなっていた。

舳先の松明に火を点した三艘の鵜飼舟が上流より流れに沿って下ってくると鵜匠は其々六羽ほどの鵜を巧みな手綱さばきで操り鮎を追わせた。のど元に捕らえた鮎を蓄えた鵜は鵜匠の元に獲物を届けてまた川面に戻り鵜の目鷹の目で鮎を追う。遊覧船の前を悠々と下る鵜飼舟から小ぶりの獲物を分けて貰った。鵜は鮎を傷つけないように鵜呑みにして瞬時にシメるのでまことに新鮮、香魚は名のごとく独特の香りを発している。

川岸にもどると鵜飼舟も岸辺に引き上げられ、鵜匠が支度をする間、鵜たちは舳先から船縁に並んで休んでいる。鵜の間にも上下の規律がしっかりと出来ており、ベテランは舳先に、駆け出しは後ろに、きちんと整列している。鵜飼を見に来るまでは、折角食べたものを取り上げられて、鵜たちは少し可哀想かなとも思っていたが、自分たちの釣果を誇らしげに並んでいる鵜たちの姿は、私の認識を改めさせた。一月の極寒の時期からトレーニングを通じて接してきた鵜匠との間は何者も口を挟めない強い絆で結ばれているのだ。

五十年に一度の架け替えの為にたゆまぬ研鑽を重ねる棟梁や、夏の夜の古式漁法を再現するため寒中訓練を続ける鵜匠が、郷土の伝統を支えている。こうした地道な努力の集大成が見る者を魅了し続けているのである。


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(「月刊 自由民主」平成18年10月号より転載)


 
 

 
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